先日、カタカムナの研究に真っすぐに
研鑽を重ねていらっしゃる先生と久しぶりに
お言葉を交わす機会を得ました。
もう30年以上にわたり
カタカムナを研究、探求されていて
その功績は素晴らしいものです。
また、毎日、「ウタヒ」を奏上されていて
ご自身の為、地球の為に気持ちをあらたに
されていらっしゃいます。
ほんとうに、素敵です。
その先生に許には、
様々な情報がやってきますが、
元々先生が、きよらかなこころをお持ちなので
やはり集まる人も、そのような方が多いのです。
先生が、ものを拵えることについて
少しだけ言及されました。
新型コロナウィルスに対しての
噴霧溶液について話された時のことです。
例えの話になるのですが、
その溶液を創る人が
ひとりは、ビジネス、稼ぎに傾いている人
もうひとりは、ビジネス、稼ぎに傾いていない人
のどちらの溶液が、という比較論を
ほんの少しだけされた時に
こころが清らかで、純粋によいものを
<こしらえたい>という想いで
こしらえた方の溶液が役に立つだろう。
という話をチラッとされました。
このところ、
このようなこころの在り方の話を
私の意識は本当に好きなのだな。。。
と、思いながら、そういう話題に遭遇する
場合が本当に多いです。
そう、コロナウィルスにより地球規模の出来事を境に
人の在り方
こころの在り方
魂の在り方
ということに、フォーカスする
その在り方が大前提。。。という世界へ
突入しましたよね。
もちろん
ひとりひとりの在り方は
いつも成長過程の中にありますので
ひとりひとりが違っていてよいですし
ひとりひとりが違っていて当たり前なのです。
しかしながら
その基本的、ベースとなるものは
<清らかであること>
という立ち位置にいらっしゃることは
とても大切な在り方だと
感じるに至りました。
じゃあ、どういう立ち位置が
<清らかであること>
だと、言えるのか?
と、申しますと言語化が難しいのですが、
<清らかであること>を大切にしているのか?
と、いう立ち位置なんだと、私は感じます。
その<かみひとえ>の差が
これからの時代に、大切なものを紡げるのか?
そうでないことに繋がるのか?
だと、感じた次第です。
あなたはどのようにお感じになられたでしょうか?
いりくらじゅりあでした。
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