随分とご無沙汰しておりました。

ご機嫌いかがでしょうか?

いりくらじゅりあです。

随分と更新するのが遅くなっておりましたね。

お元気にされていましたか?

私は、11月下旬に会を開催するにあたり、
本当にばたばたとしておりましたので、
すっかしと消耗しておりました。

 

やっと、この年末あたりに
いろんなことが落ち着きまして
ほっこりとしているところです。

 

人間、いろんなことを経験しますと、
磨かれますよね。私も、いろんなところを磨かれて
ぴかぴかになってきました。

 

さて、12月の間に、ヒプノセラピーの悲嘆療法にあたるセラピーの
レクチャーを受けてまいりました。

悲嘆療法と申しますと、私がヒプノセラピーの導入になったものですね。

自分自身でも思いもかけずに、自分自身に悲嘆療法のセラピーを
やってのけていた経緯があり、ヒプノセラピーを学ぼうというきっかけに
なったのでした。

ざっくりとことの成り行きを語りますと。。。

私には息子がおりまして、彼が、高校三年生の秋に、
いつものごとくに帰宅した際にですね。。。

 

いきなり

「俺は小学校の先生になる。」と申しました。

そこから、私の心がざわざわし始めたのでした。

このざわざわというか、過剰な息子に対する心配は
どこからやってくるのだろうか?ということで、

ありとあらゆる心理カウンセリングやセラピーや
いろんな人を訪ねて、この次第を語りました。

ですが、何も変化が無く、私のこころはザワザワしっぱなしでした。

途中で感じたことは、「息子が自殺するのではないのか?」という
そんな心配でした。

 

どんなことをしても、どんな人に相談に行っても埒が明かず、
ある時、私は、スリランカを訪ねます。スリランカには体重減少の
目的で行くのですが、そのスリランカで実に不思議なことが起こるのでした。

私の行ったコロンボから車で数時間走った
「マウント・ラ・ヴィーニア」という街にある
「シャンティランカ・アーユルヴェーダー」という施設は
日本人の専用施設で、アーユルヴェーダーで治療レベルの施術を提供している
施設です。そこには日本人のセラピストさんもおられました。

国立コロンボ大学には、アーユルヴェーダー学部というのが存在し、
その学部の教授は4名だけ。。。ということだとか。

教授になるのは、膨大な知識と、豊富な経験を必要とし、
教授にまでなれる人は、本当にほんの一握りなのだそうです。

 

シャンティランカ・アーユルヴェーダーでは
正式にコロンボ大学と調印を交わして、アーユルヴェーダーの
業務提携をしている施設です。

ですので、コロンボ大学のアーユルヴェーダー学部の教授が
施設にやってきて、クライアントの治療方針を決めてくれます。
その決まった治療方針を現実に落とし込み、日々の施術について
薬草の調合とか、使うパウダーとか、実際に細やかな毎日の
診察などをしてくれるのが、やはりコロンボ大学卒業したドクターです。

ですので、本当に専門的に本格的なアーユルヴェーダーの施術を
うけれることが出来る貴重な施設です。

日本人のマネージャーが居ますので、スリランカ人のドクターや
教授のしゃべる言葉をそのまま日本語に通訳してくれます。

ドクターたちは、英語で会話しますけど、スリランカ人の
セラピストや屋敷を整えてくれるスタッフなんかは、シンハラ語だけを
使う人たちもいます。ですが、スタッフの中には、シンハラ語、
英語、日本語を話せる人がいるので、不自由なく言葉は足りますね。

さて、私が浮かぬ顔でドクターの診察を受けた際に
ドクターはすかさず、「じゅりあさんは何か心配ごとを持っていますね。
心配事があると、ダイエットに集中できません。どうぞ、なんでも
話てください。」と言われました。

私はその女性の現地のドクターにことの次第を話した訳です。

息子が高校三年の秋に「俺は小学校の先生になる」と聞かされた時から
こころがざわざわしていつも息子のことが心配でならなくなったと。

どんなところの人に相談しても今まで解決していない。
いろんなカウンセリングメソッドやヒーリングメソッドも
試したけどダメだった。

息子は教員採用試験を受けて、合格したので、実際に教員になる予定だ。

私が小学校2年生の時の担任の先生が長身の男性で、その先生は
授業中に倒れることがあったので、保護者の人が教育委員会に告発するような形で、
その先生が、授業を出来ないようにさせてしまった。
結局はその先生は教員を辞めて田舎に戻ったとのこと。

それで、私の母が風の便りで、その先生のことについて、
事あるごとに私に言うのが、このワードだった。
「〇〇先生は、自殺したって。。。」
なんだかよくわからないけど、母は決まって、いつもこの話をするのだ。

 

この先生が何度か授業中に倒れるのと、息子も何度か倒れたことがあって
あまりにもリンクしすぎてしまって、私の中では、小学校2年生の先生と
息子が同じ道をたどるかもしれない。。。と思い込んでしまう節があったのだった。

 

そのことは、まだ、起こってもしない未来のことを、私が過剰に心配しているだけ、
ということは頭ではわかっていて理解しているつもりなんだけど

どうしてもそのことが腹に落ちなくて、頭では理解していても、
こころが付いていかない状態であり、いつも、「もしかしたら、息子が同じように
なるかもしれない」と頭の中でいつもループしているような状態なのだった。

決定的だったのは、教育実習の際、息子は、教育実習の初日に、うなだれて帰宅して
「今日、朝礼中に倒れてしまった。」と、言ったのだった。

それを聞いた途端、私の頭は恐怖でおののいてしまったのだった。
私の想像している通りにたったらどうしよう???

息子は、知り合いのカイロプラクターの先生に連絡を取り、
ことの次第を伝えてから、先生の見解をお聞きすることが出来た。

先生は「迷走神経反射」という反射があり、息子さんは、その可能性が高いです。
ということで、直ぐに迷走神経反射の原因とどのようにすれば防げるか?
息子にレクチャーしてくれた。その数日後、息子はカイロの先生が住んでいる
東京国立市まで飛行機で飛んで、先生の施術を受け、無事に帰ってきた。
先生はばっちり直しましたから。。。と、おっしゃってくださった。
本当に有難い限りである。

そのようなことがあり、私は、いよいよ、どうなっていくのだろう?
と、先のことを心配する中でのスリランカ行きであった。

日本人のセラピストの人と、一対一の施術になった時があった。
いつもは、大抵、二人同時に施術をしてくれる体制になっている。

だけど、この日だけは、一対一だった。
日本語でいろんなことをしゃべりながらの施術だった。
この施術の前に、女性のドクターに息子のことを話て相談にのって
もらったことも全て日本人のセラピストにお話しした。

私は、今まで、感じたことを詳細に全て、セラピストにお話しした。

 

すると、セラピストが、こういった。
「じゅりあさん、その〇〇先生に向けて、お話しされたらどうですか?」
みたいなことをおっしゃったのだった。

私はその話を聴いて、直ぐに、「ホオポノポノ」を使おうと、
ピンときた。それから、目をつむって、手を合掌にして、
その〇〇先生を脳裏に想い浮かべながら。。。

「〇〇先生、ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています。」
という祈りの言葉を先生の捧げた。

すると、先生が長いくらいトンネルの手前に立っておられ、
にっこりとほほ笑み「もういいよ」と言うなり、踵を返して、
トンネルの先にある光あふれる場所へと向かいドンドンドンドン歩いて
行かれるのが見えた。二度と振り返ることなく、先生はどんどんと
歩いていかれる。

私は、先生のその後ろ姿をじっと見守っていたのだった。

私は、その光景を、横にいたセラピストさんに話して聞かせた。

するとセラピストさんは、
「じゅりあさん、その先生は、スポーツ刈りにされてますか?」
とおっしゃった。

「はい、スポーツ刈りです。」

と申すと、やっぱり、私にもその映像が見えています。
と驚くべきことをおっしゃったのだった。

「先生はグレーのスーツをお召しですか?」とセラピストさんが
おっしゃるのだった。

「はい、グレーのスーツをお召しでした。」と私が答えると、
「そうですか。やっぱりそうですか」とお話しされたのでした。

実に不思議ですが、私が見えている映像が、
セラピストさんにも同じように見えるのだった。

私は、とても不思議な気分になったのと同時に
とても安心したのだった。

先生に許してもらえた気持ちになった。

思いだしてみると、
その先生は小学校2年生の当時の私たちから
替え歌を唄われて虐められていたのだった。

「○○ガエル、どぶガエル、」
というような実に汚い言葉を投げかけて
先生を苦しめていた。

私は正義感が強かったので、
そんなことを皆で歌うのが耐えられなかった。

けれど、そこで反旗を振りかざしたら
自分が今度は虐めのターゲットになる可能性が大きくなる。。。
と、考えて、私も先生の替え歌を唄って同調していたのだった。

本当はそんなことをしたくないけど。
自分の保身を選んだのだった。

そのことが、きがつくよりおおきく自分のこころを踏みにじり、
自分で自分を軽蔑していたわけである。

〇〇先生を救えなかったしょうもない自分自身。
自殺に追い込んだのは、保護者だけじゃなくて、私たち生徒自身もそうだった。
そして、私自身も先生を追い込んだ中のひとりなのだった。

そんなことを、思い出していた。

先生の大して物凄く大きな罪悪感を知らずに抱え込んでいたのだった。

だからこそ、息子が小学校の先生になると言った時、
もう、そこに周波数がばちっと合ってしまったわけであった。

私はその時に、昔のことを全て思い出していた。

しばらく、ホオポノポノの祈りをささげていた。

 

そして、しばらくして、息子を過度に心配するこころの病は
綺麗に消えてなくなってしまった。

 

これが、日本に帰ってしらべてみたら、ヒプノセラピーによく似ている。
という感じになり、ヒプノセラピーを学ぶことになったのであった。

つづく。。。

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